日笠山 / higasayama

ゴクとヒロシマ

 二人の男が、食卓を挟んで向かい合っている。 「二年も付き合いがあって分からんもんかネ、普通」白髪まじりのパーマを振り乱したような頭で、古びた茶色いジャケットの男が言う。 「だから、分からなかったんだって。最近のAIはもう、まったく見分けがつかん」同じような趣味のジャケットを着た男が、言い訳がましく返した。彼の髪もまた、汚らしい印象を与える中年の色だった。 「分からなかったか? 発音の癖とか、飯を食わないとカ」茶色いジャケットの男、それも皮肉っぽいほど肌がメタリックな男は続けざまに言う。それにもう一人の男は答える。 「知らないか。アイツらはもう全言語に対応してるし飯も食うんだよ(・・・・・・・)。ゴク、お前みたいに初期のAIとは違うんだぜ。二年間人間を騙すなんてワケないんだ。お隣さんだって分からん、あと何人本当の人間が残ってるか、政府の人口統計だってアテにならないぜ」  茶色いジャケットの男の名前はゴク。正式名称Imrobot-000059にちなんで名づけられた。ヒト型AIのパイオニア的製品であり、まだ発音の語尾や肌ツヤに機械の趣きがある。 「で、人間様らしく傷心ってわけカ。羨ましい限りだよ。あ、もしかしてあてつけか? 」 「違うよ。長い付き合いだからそれくらい察してくれ」 「初期モデルだから察する(・・・)のは苦手でな」 「だろうさ」  男、檜垣(ひがき)は手元の缶ビールを煽ると、それを叩きつけるように置く。 「で、失恋旅行の行き先は決まったのか」 「広島。あれだけ人間らしい歴史の詰まった街は、他にないだろうさ。今の俺はあそこに行かなくちゃならない」 「牡蠣が食いたいだけだろ」 「ふん、バレたか」  つまみのない食卓。缶ビールが二本開けてあるが、ゴクのほうは減っていない。 「あと、五十にもなって失恋なんてしないぞ。仲良かった相手が人間じゃなかった、それだけのことで、それ以外のなにものでもない」 「文字通り、相手は何者でもなかった(・・・・・・・・)んだもんな」 「いいや。二年間は何者かではあったさ。人間らしい名前を持った、AI以上の何かだった。俺にとっては」  檜垣は半分残っていたビールを一息で飲み干して、排気音のようなゲップを漏らす。 「広島にはいつ行くんだ? 」 「再来週の金曜の夜から。日曜の夜に帰る予定」 「俺は? 」 「スマホなんてもう二十年持ってないんだぞ。毎度毎度聞くな、それを」 「この二年間は同席させなかったくせに」 「もういい。この二年は失われた。思い出したくもない。冷蔵庫から酒を出してくれ」 「分かったよ」  その晩は、檜垣の、この時代にあっては平凡な失恋話で空けていった。いつしか空が白んでいることに気がつくのは、缶ビールの山から突っ伏した体を起こしてからのことである。  二週間後。広島市。  いつものジャケットに、センサーの焼きつきを防ぐためのサングラスをしたゴクと、その色違いのジャケットに、同じくサングラスを着けた檜垣。ほとんど同じジーパンだから、双子のオッサンのようでなんだか可笑しい。  二人が着いたのは、地元にも愛される牡蠣小屋。 「予約してました。檜垣です。コイツは同伴のAIです」 「型番のほう伺ってもよろしいでしょうか」 「imrobot-000059」 「ありがとうございます。お席にご案内いたします」  席に案内される。 「カキコースに飲み放題でよろしかったですか」「はい」「ありがとうございます。商品順番にご用意いたしますので、少々お待ちください」「飲み物は生二つで」「かしこまりました」  どの店でもやり取りは変わらない。  早速、生が二つ運ばれてくる。二つとも檜垣の前に置かれ、檜垣はわざわざゴクの前に一つを置き直した。 「無粋な店だ」 「あんたが珍しいんだよ。乾杯」 「乾杯」ゴクにビールを差し出され、檜垣も応えて杯を鳴らし、泡がおもたく揺れる。  お通しに枝豆が出され、それをつまみながら檜垣は、何を呟くこともない。それを眺めるゴクもまた、ロード時間のゲーム機のように、呼吸だけして背筋よく静止している。 「お前さ、もうちょっと自然に待てるようにならなきゃダメだな」 「おれもそう思ウ。自然ってなんだろうな」 「おっと、難しい話なら酒が回る前に済ませてくれよ」 「メモリーを参照しよう……自然とは、人間が作り出したものではなく、宇宙や地球に本来備わっている存在や現象のこと」 「メモリーを参照することを『思い出す』って言うんだぜ」 「そういえばそう習った。すまない」 「ミスも自然な人間らしさだ。許すさ」 「ありがとう。俺は自然になれるかね」 「それは分からんが、この二年間は俺にとっちゃ自然だった。ゴクが本当の意味で自然になれるかは分からんが、自然と見分けがつかないレベルに近づくことはできるさ」 「そうですか……いや、そうか」 「今の敬語は狙ったな」 「バレたか。不自然な(・・・・)敬語だ」 「だな」  檜垣はジョッキを半分空けると、表情をほぐした。造りの盛り合わせが運ばれてきたからである。早速、マグロを二きれ箸でさらって頬張る。頬張って言う。 「巷のAIにゃ、口から体ん中の冷蔵庫に食べ物を運んじゃあ食べたフリをする機体もあるらしいぜ」 「そりゃ、ずいぶんと体が重いだろうに」 「ロボットの派生っていうより、クーラーボックスの派生だよな。クーラーボックスに人工知能を積んで歩かせてるみたいな」 「自分で運べばいいものを」 「そうでもして自然な喋り相手が欲しいんだよ。人間ってのは寂しがりなんだ」 「俺(AI)だって寂しさを感じることはある。受動的な存在である俺たちAIが少しでも人間に近づくよう、疑似感情をプログラムされてるからだ。だから、感情はもはや人間の専売特許じゃないんだよ」 「そりゃ二年騙されるわけだ」  檜垣は贅沢に、数種類の刺身を一度に口に含んで咀嚼、味が目的ではないらしい。 「今はもう、俺たちを造る工場で働いてるのも俺たちなんだ。知ってたか? 」 「知ってる。昔は工場で働いてたから」 「それぐらい、もう人間もAIもごった煮なんだよ。相手が人間だからどうとか、AIだからどうとか、種族を差別して打算的に動ける時代は終わったのさ」 「俺みたいなことを言うようになったな」 「そりゃ、お前とこれだけ長く一緒にいればそうなる。お前が独りだから尚更な」  酒で流すように刺身を飲み込めば、やがてカキフライや焼き牡蠣、牡蠣味噌鍋が押し寄せるようにやってくる。 「いただこう。難しい話がむずかしくなってきた。酔いのせいだな」  檜垣が食べている間、ゴクは手元でスマホを触ったり、店の内装を眺めたり時間を潰す動作をしていた。ただ、一定の動きがループして繰り返されているので、彼をAIだと知らない人間からしてみれば、いささか気になる仕草ではあった。 「この店の何人がAIだろうな」 「さっきの店員がそうだ。それから、あそこと、あそこのオッサンの相手の女。少なくとも人間じゃないぜ」 「よく分かるね、お前」 「知らなかったか? センサーが人間の眼球と違う」 「はは、それは知らなかったや」  それから檜垣は、カキのつるつるの身を噛みきってはビールで流し、ついには味噌鍋を雑炊でしめるまで何も言わなかった。ただ、それに関してゴクが何か思うことはない。 ゴクはタイミングを見計らって会計ソフトを起動し、AIの店員の決済ソフトに干渉して会計を完了させる。 「食べた食べた。もう入らん。移動しよう」  おもむろに席を立ち、檜垣は用を足してから、二人で連れ立って外へ。  時刻は夕方にさしかかっている。ここから目的地へ電車で向かうと、もう日が暮れかかる頃になるだろう。 檜垣が次に向かったのは、原爆ドームである。 「あれだな、原爆ドーム。道案内を終了する」 「いつも助かる」  この数十年の間に、日本は唯一の被爆国ではなくなった。中東で行使された核兵器は、彼らの戦争終結を五十年は早めたことになっている。 戦争の遺物を、牡蠣で膨れた腹のまま見上げる。 「お前は何か思うか? この建物に」 「ネガティブなものだよ。この建物について学習するためのデータに、悲観的なものが多すぎる。悲しみのデータを象徴するような建物だ」 「それで、お前も悲しくなるか? 」 「ならない」  今やサングラスを外したゴクの目に、感情は見てとれない。悲しみというありもしない表現を再現、実行しようと、ショート寸前であるかのように思われる。 「だろうな。それでいいと思う。だからまだお前と一緒にいる」 「どういうことだ」 「お前は理解できないことを、理解できないなりに考えようとするだろ? 新しいAIは、計算できるのか何だか知らんけど、分かった風なことを言う。学者みたいにな。でも、俺が求めてるのはそうじゃない。俺と一緒に考えたり、俺と同じくらい何かに悩んでくれる存在なんだよ。俺は悩んでる奴を見て何かを閃くタチなんだ」 「じゃあ、檜垣はこの原爆ドームに同じようなことを思うのか。人間が完全じゃなくてよかったとか、悩みの象徴みたいなこの建物が、自分が人間であることを肯定してくれてるみたいだって、そう思うのか? 原爆ドームが有ってよかったって、そういう風に? 」 「戦争を肯定するわけじゃないよ。ただ、人間が完全じゃないってことを、誰かが覚えてくれていることが嬉しいんだ。全部が分かるようになって、何も怖くなくなって、AIが全てを助けてくれるこの世界にも、確かに不完全な俺たちがいるってことを、このドームが許してくれてるみたいで、俺は嬉しいんだ。もしかしたら、俺たち人間はもうこの世界に少数派かもしれない。この原爆ドームも、多数派になったAIの正しい決議(・・・・・)で取り壊しになるかもしれないんだぜ。けど、これがある内は、まだ人間に迷ったり、考えたりすることが許されてる。そんな気がする」  ゴクには、『悩み』がどうして檜垣を助けるのか、どうして不完全であることが檜垣を肯定するのか、理解することができなかった。さらに情報を求める瞳で檜垣を見つめると、彼はどこか嬉しそうに、ドームを後にして歩き出した。ゴクもまたその後ろ姿に、やはり恭しくついていくのだった。 「次の行き先は? 」 「決まってない」 「オススメの居酒屋を提案できるぞ」 「もう酒はいいよ」  最後に、ゴクは「ふっ」と笑った。その笑顔は、今までのどの笑顔よりも自然に見えた。